プロフィール

ニックネームnini
自己紹介 【今までのこと、これからのこと】

大学卒業後、某ソフトウェア開発会社に入社し、システムエンジニアとして社会人を東京でスタートさせる。

25歳のときこのままでいいのだろうかと
とりあえず会社をやめてみる。

アメリカに放浪の旅に出てみた。
ロスとラスベガスで遊びまくって一文無しで帰国。

手持ちのノートパソコンを使ってパソコン教室を始めてみるが、まったく人は来なかった。

町の集会所に長机を出してノートパソコン1台でパソコン教室というのは誰から見ても怪しすぎた(笑)

チラシを2000枚印刷して朝早くから新聞配達の人の後をつけて、まるで折り込みのように新聞の間に毎朝ポスティングを続けてみた。


さらに怪しまれ当時話題の某宗教団体ではないかと勘違いされドツボにはまる。


今度は商店街にチラシを持って一軒一軒あいさつ回りをしてみた。

すると僕の母親くらいの女性が生徒になってくれた。
毎回お菓子を持ってきてくれたり、寒いだろうと靴下を持ってきてくれたり・・・人の優しさをこのとき心から感じた。

その人は地元のボーリング場のオーナーだった。
後にそのボーリング場は「東京タワー」という小説・映画に出てくるようになる。

それから次々と生徒が増え、東京から横浜に進出。
軽ワゴンにノートパソコン30台を載せ、横浜18区のすべての公会堂で移動式パソコン教室を始める。

その頃にはインストラクターも含め10人近くのスタッフと、そして生徒は3000人を超えた。

そんな中、日本政府はIT政策という名のもと無料のパソコン教室を次々と始めた。小渕内閣のときだった。

生徒は激減し、これ以上やっていけるはずもなかった。


でもこのままで終わりたくない・・・
もう一度一生懸命みんなで考え、生徒の声に耳を傾けてみた

そして、パソコン出張サポートというサービスを始めてみた。

今までの生徒から次々と連絡が入りこのサービスは大成功した。

そのうちNTTやKDDI、ケーズデンキ、ヤマダ電機などといった会社からも仕事が回ってくるようになり、順調に軌道に乗っていった。

やっと世間から認められる会社になれたと心底うれしくなった。


そして、よしこれから!というとき実家の父親が倒れた。
心臓の病だった。

みるみるうちに弱っていく父親を見てぐるぐると悩んだ。
自分の夢と自分の父親。

僕にとってかけがえのないものはやっぱり自分を産んでくれた人だった。
夢はまたチャレンジすればいい。

僕は自分で始めたこの会社を自ら離れることにした。


そんな僕を拾ってくれたのは、某ソフトウェア会社に新入社員で入ったとき初めて僕が担当した会社の社長だった。

東京と滋賀を行ったり来たりすることを前提に雇ってくれた。
そして将来また僕が起業するまで好きなだけいればいいと言ってくれた。

僕は人の優しさにいつも助けられ、支えられていることに涙が止まらなかった。


その会社に勤めながらもフリーランスのWEBデザイナーとしても仕事を始め(社長公認で)、いつの日かまた起業できるときのために僕は学校に通うことにした。

これからのWEB業界はシステム開発が重要になると思い、WEBプログラミングを身につけるための学校だった。


そしてその時、父親もがんばっていた。

ずっと原因不明と言われ続けながら耐えていたが、手術をしてみましょうと言ってくれた先生がやっと現れた。
今まで前例がありませんが・・・という前置きで。

しかし、その先生の執刀により死を間近にしていた父親は奇跡の復活を遂げる。

そして、僕も心置きなく再び起業した。
今度は家族のいる滋賀県で。


システム開発からできるWEB制作の会社を作った。
それが今の株式会社 nini system Designという会社。

最初は一人だったけれど、今では社員も入り仕事仲間もたくさん増えた。


今まで何度も打ちのめされ、そのたびに誰かに助けてもらってきた。
決して僕自身強いわけではないが、周りがあたたかかった。

だから僕も人や出会いを大切にできる人間でありたいと思う。
職業会社経営

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